安島さんの講演をお薦めします

セントヨゼフ女子学園 高等学校・中学校 校長 斎藤 翠 


「戦争は人間の仕業です。」これは教皇ヨハネパウロⅡ世の、来日の折のお言葉です。広島、長崎での野外ミサを、雪が降りしきる厳しい寒さの中で人々と共に捧げられ、世界平和を祈願されました。あれから35年の年月が流れていますが、未だに人類は、内戦やテロリストの殺戮の餌食と化し、苦しみ喘いでいます。
 戦火から逃れるために、難民として祖国を後にすることを余儀なくされた何百万人にも及ぶ人々は、流浪の民として安住の地を今も探し求めているのです。その多くの人々は途上で命を落としています。この現実に無関心であったり、無知であることは、同じ地球上に生きる同胞として哀しいことです。
 私たちが安島太佳由氏との出逢いをいただきましたのは、写真家として交流を深めておられた私共の知人S氏のご尽力によるものでした。
 戦後70年と大切な節目の年に当たり、次世代の若者たちにぜひ伝達したいメッセージを届けたいと、安島先生は遥々津までお越しくださいました。全校生徒で、戦争がもたらす傷痕や悲惨さを追体験させていただきました。 写真家としての安島先生のものごとを見つめるアングルには、人間としての血の通った温かさがあり、現地の戦果の写真をじっと眺めているだけで、「人として、どう生きるのか」という深い問いかけを投げかけられます。
 実際に戦闘の足跡をご自分の目と足で確認してこられ、現地の人々の声を聴き、そこから発信されているメッセージを、直接私たちに届けてくださるのです。生徒からの質問も多く、殊に「神風特攻隊」の多くの若者が、将来の夢を実現することなく海の藻屑と消えていかねばならなかった事実を、同じ世代の若者としてしっかり心に受け留めていました。
 先に述べましたように、人類の歩みである歴史に無関心であったり、無知であることは許されません。単なる講演ではなく、ご自分という存在を通して気づかれたこと、見えてきたことを、一人の「証人(あかし)」として淡々と語られる安島先生との出逢いは、次世代を担う若者には不可欠です。安島先生は、この「ミッション」(使命)のためであれば、どこへでも駆けつけてくださいます。











長野県諏訪二葉高等学校 教諭 林 直史  


私が戦跡カメラマンの安島太佳由さんを知ったのは、出版されたブックレット『上原良司と特攻隊』についての紹介記事を『信濃毎日新聞』で読んだ時です。それが縁で、私の勤務していた上原良司の母校である松本深志高校で、安島さんに人権平和教育の講演を依頼しました。
 2010年11月、人権教育の一環として1年生360人を対象に「上原良司と戦争」についての講演をしていただきました。私は「一人ひとりの掛け替えのない人生を無残に断ち切る戦争は、最大の人権侵害である」という考えを常に懐いてきましたが、上原良司はこの事を考える際の象徴的人物であると思っています。上原良司に関する写真や戦跡の写真を交えた話は、戦争の非人間的な現実や悲惨さを生徒たちに伝えるために、とても説得力があり効果的で貴重であったと思います。
 2013年には、現在私が勤務している諏訪二葉高校の全校人権教育講演会で、「上原良司と特攻隊」と、「沖縄の戦跡」について講演をしていただきました。本校では毎年2学年の生徒が沖縄へ修学旅行で行きますが、1年前に行った3年生にとっては事後の平和学習の復習になり、1、2年生にとってはこれから行くための事前学習になりました。その意味でも今回もとても意義深い講演になりました。
 松本深志高校、諏訪二葉高校それぞれの生徒たちの感想文には異口同音に「人の尊い命を否応なく奪う戦争の本質を知り得た以上、自分たちが大人となる将来、二度とこのような戦争を起こさないようにしたい」と力強く書いてありました。
 戦争を知る世代が少なくなる中で、今後ますます反戦平和について学ぶ必要性が増しております。私は次の世代を担う若い人々へ戦争の真実を語り継ぐことが、確実に戦争への抑止力になっていくと思います。
 まさにこの意味において、「若い世代に語り継ぐ戦争の記憶」プロジェクトを実施されている安島さんの講演を、ぜひ多くの学校でおこなっていただくことを希望いたします。私はこれまでの経験から自信をもって安島さんを推薦いたします。










千代田女学園高等学校 教諭  野田佐知子


本校では平和学習を高校2年の研修旅行の主な目的としている。昨年は戦後70年という節目の年でもあり、従来の長崎に加え広島を訪れた。生徒たちには6月から毎週1回、新聞記事、映像視聴、聞き書きなどを課し、一人一冊のファイルを作らせた。ほぼファイルがいっぱいになり、さて、全体事前指導をどのように展開しようかと考えていたちょうどその頃『東京私立中学高等学校協会』主催の研究会に参加し安島氏の講演を聴いた。これが安島氏との出会いとなる。 
 「戦跡カメラマン」初めて耳にする言葉であったが、そこで目にした数枚の写真は深く記憶に残った。戦争を知らない世代が多数を占める現代、実際に自分の足で現地を歩き、日本兵の遺骨収集を続ける氏の言葉には説得力がある。
 本校での講演依頼を快諾してくださり、10月7日「戦争における命と人権のことを考えよう」というテーマで実施の運びとなった。広島、長崎での原爆投下の背景と実態、太平洋戦争下の兵士の様子、戦争末期の特攻隊について写真を前に語ってくださった。「戦争は殺し合い。殺さなければ殺される。その戦争はどのようにして始まるのか」折しも安保関連法案で揺れる政治状況の中にあって、時流に流されず主体的に判断し、一人ひとりが今の社会に目を向けていかなければならない必要性を生徒たちはこの講演を受けて確かに感じ取った。
11月、広島、長崎と被爆地を訪れ、86歳になられる被爆者講話の最後に、「自分自身でしっかりと考えられる人間になってほしい」とのメッーセジが発せられた。安島氏の説かれた「自立」と重なるものだった。研修旅行後に課した論文からは、過去を通して現代を捉える目も深まり、18歳選挙権と相まって、これからの時代を担うのはまさに自分たちなのだという意識も高まった。
今、日本はどこに向かおうとしているのか。平和教育を真に意義深いものにするためにも、安島氏の講演がもっと多くの教育現場で実施されるよう切に願う。









聖セシリア女子高等学校2012年度卒業生 青山学院大学3年 相原由奈 


「語り継ぐこと」を教えてくれた安島さん
 私が安島さんと出会ったのは、高校を卒業する少し前のことでした。卒業を目前に控えた3年生に向けての講演のゲストスピーカーとして、安島さんがお話をしてくださいました。戦争体験を「語り継ぐこと」に関心を持っていた私は、食い入るようにお話を聴き、必死にメモを取っていたことを覚えています。
 私が「語り継ぐこと」に興味を持ったのは、高校2年生の修学旅行の時でした。長崎を初めて訪れ、被爆者の下平作江さんから「あなたたちが被爆体験を直接聞くことのできる最後の世代。平和のバトンを次の世代の人たちへ」という言葉を受け取った私は、どのようにすればバトンをつなぐことができるのか、と現在も模索をしながら行動し続けています。
 しかし、そのことの難しさに苦しむこともあります。戦争を知らない世代に戦争の記憶を「語り継ぐこと」ができるのか、と。そのような壁にぶつかった時、また、自身に問い直しをする時に、「大丈夫!」と勇気をくれるのが、写真を通して「語り継ぐこと」を続けてくださっている安島さんの存在です。
 私は現在、大学での学びと並行して、自分なりに平和学習を続けています。直接お話が聴ける最後の世代として、できるだけ現地に行き、その場所でしか見ることのできないもの、聴くことのできない声や音、感じることのできないことに触れ、まずはバトンを受け取ることから始めています。今年は、ブラジルに渡った被爆者の方々に会うためにブラジルへ行こうと考えています。「語り継ぐこと」は、私のライフワークとなりそうです。
 私のように学校での平和学習や人権教育がライフワークにつながる、という例はあまり多くはないかもしれません。しかし、何かを考えるきっかけにはなると思います。私は、普段の授業では学ぶことのできないことを学べたり、出会うことのできない方々と出会えたりする機会を与えてくれた母校に感謝しています。